十一、蟻地獄(2)

 うちの部曲は滞陣四日目でお散歩当番が回って来た。いちおう日帰りの予定だが、道中何があるか分からないので念のため最低限のお泊りの準備はして行く。俺達と交代で帰って来たの王隊長が、我々の仕度を物珍しげに眺めながら隊長に声をかけた。
「ずいぶん念が入ってるね。雨具まで持って行くの?」
「はい。絶対に濡れたくないんで。」
「ここらで冬に雨は降らないぞ。降ってもせいぜい小雪がちらつく程度だろう。」
「もっと凍てつく寒さならいいですが、ここのところちょっとぬるいから心配です。もしベチャベチャと湿った雪に降られたらやっかいだなあと思って。」
「ずいぶん神経質だね。水嫌い?」
「嫌いです。濡れるの大嫌いなんですよ。小さじ一杯ほどでもイヤです。」
「溺れたことでもあるの。」
「はい。」
「意外だな。襄陽じょうようの育ちだろ? ああいう場所で育った人は誰でも水泳が達者なものかと思っていたが。」
「泳げるんですけど、溺れた時は四日間ほぼ不眠不休で山岳戦やった後に築城用の資材を担ぎながら鉄鎧てつよろいを着て渡河したもんで、なかなか岸に着かないなあと思ってる間に目の前真っ暗になって溺れました。」
「なんだそれ。実戦?」
「いえ、訓練です。訓練で人死にを出すことなんかなんとも思ってないイカれた鬚面ひげづらのドングリ眼のオッサンを上官に戴いていた不幸な時期がありましてね。」
「ああなるほど。よく生き残ったねえ。」
「生きてないっていう噂もありますけど。」
「丞相の妖術で蘇った不死身の僵屍キョンシー戦士だっけ。」
「不死身って、なんかイヤですね。一回死にゃあ充分じゃねえか勘弁しろ、って感じ。」
「気の毒に。」
王隊長は本当に気の毒そうに韓隊長を見た。俺は気の毒というより不気味に思った。

 久々に自由に歩き回る。空がスカッと晴れていて気持ちいい。みんなウキウキとはしゃいでいる。
「こっそり長安見物して来ましょうよ~。」
「陳倉を通り越して? ギャハハハ、ふざけすぎ。」
「どこでお弁当食べますか?」
「川辺で焚火した~い。」
「釣りしましょうよ、釣り。」
「釣りはいいけど火を焚いたら敵が寄って来るっての。」
「隊長がやっつけて下さいよ。橋の中央に立ちはだかって。燕人張飛えんひとちょうひここにありって。」
「俺ちょーひじゃねえし。」
「似たようなもんじゃないですか。」
「え~、俺あんな暴れん坊じゃねえよ。どっちかっつうと知性派じゃん?」
「はああ? っていうか殺人拳法の使い手ですよね。どうして常に素手による打撃なんですか?」
「え、いや、普通に考えて道具使って人を叩いたら危ないじゃん? いちおう怪我させない目的で素手なんですけど。」
「ウソだよ~。じゃなんでいっつも急所ばっか打ってくるんですかあ? マジ危険。」
「よく『死ね』って言いながら打ってるじゃないですか。めっちゃ殺気漲ってるし。ぜったい殺す気でしょう。」
「へっ。打つたびにいちいち殺気を漲らせてるようなのは殺人拳法じゃねえっつの。」



《広告》
ページ公開日: 最終更新日: