十一、蟻地獄(7)

 敵はまた二百歩くらい離れた地点で怨めしげに滞陣した。俺達は蟻地獄の中をお掃除しにかかる。敵兵の遺体を彼らの仲間のいる方向のここから五十歩くらいの地点まで運び出して並べ、負傷者も止血だけして同じところに置いておく。後で勝手に引き取りに来るだろう。この時点での当方の死亡は二名、負傷者は二十数名でた。このうち、後になってから死んだ奴が四人いる。
 隊長は馬の死骸を解体しながら痛恨の極みといった表情で
涮肉しゃぶしゃぶにするつったけど、芝麻醤ごまだれがねえなあ。」
つぶやいた。頭おかしいんじゃねえか。神経疑う。

 馬肉は薄切りにして焼いて岩塩で食べた。全く食欲がなかったが、口に入れたら温かさと塩の味とで食べられた。腹の中があったまったらちょびっと元気が戻った気がする。
 日はとうに暮れている。今夜もいい月だ。だいぶ欠けてはいるが、空気が澄んで皓皓としている。取り急ぎやることが終わり、みんな手持無沙汰にぶらぶらしている。
 勤務兵を常に自分の傍らに置いておく将校が多いが、隊長は訓練にも戦闘行為にも俺を参加させている。とりあえず自分の所属の中でやることが終わったので、隊長のところに戻った。
張靖ちょうせいもどりました。」
声をかけると、隊長はしげしげと俺の顔を見た。と、つかつかと近寄り、俺のぶら下げている刀を鞘から抜き取ってしげしげと眺め始めた。なんだろう。と、思っていると、無言で刀を持って行きおもむろに砥石で砥ぎ始めた。一応さっきちょっと砥いどいたんだけどな。ピッカピカに磨き上げ、月光に照らして眺めると、
「はい。」
と俺に手渡した。
「ありがとうございます。」
鞘にしまっていると、
「大丈夫?」
と聞かれた。
「何がですか?」
「顔がおかしいぜ。」
こう言いながら俺の両頬を手のひらで覆ってグシャグシャに揉みほぐす。何か言い返そうと思うのだが、頬を押さえてぐしゃぐしゃといじくられているのでしゃべるにしゃべれない。いや、しゃべれないのはそのせいじゃない。喉の奥が詰まってる。泣けばこの塊が排泄されるのだろうが、現状では中に詰まったままだ。オエッって塊のまんま胸から吐き出せれば楽だろうと思う。
 隊長が俺を抱擁したからちょうど上手く涙腺が緩んで塊を排泄することができた。しかしこんなことは什長の仕事なんじゃなかろうか。王什長だってもちろん、俺が「今日生まれて初めて人殺しをしたので動揺しています」と訴えればこのくらいのことはしてくれるのだろうが、俺もわざわざ言わないし、王什長だって気付かない。というより、什長だっていっぱいいっぱいなんだ。だから互いに見て見ぬふりだ。多少の問題くらい自分の中で処理してくれよ、というのが当たり前の感覚だし、俺だってそんなもんだと思っている。塊は塊のまんまいつまでもゴロゴロしていたって、それはそれでそんなものだと思うまでだ。そんな兆候を放置しないでよくもいちいち解消してくれるものだ。三百人もの兵隊の表情なんていちいち注視しているのだろうか。異常に細かい。



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