十二、苦肉の計(5)

隊長は旗を手にとりしげしげと眺めていたかと思うと、ゲラゲラと笑い始めた。
「俺がこれを返せねえ時はこの旗ももう要らねえってことだな? ひゃっひゃっひゃっ。いや待てよ、おんなじ苗字の奴が使うかな? いや要らねえだろ、そんな縁起の悪い旗。いくら貧乏だっつっても旗ぐらい新調しやがれって遺言してたっつっといて。」
「はあ? ちょっと、縁起でもないですよ!」
遺言という言葉を聞いてみんな俄かに動揺する。
「さて、準備完了したな? じゃ行こっか。じゃあな~。」
不吉な発言を残してあまりにも気軽に出かけて行こうとする隊長の態度に動揺し、数人が持ち場から立ちあがり歩きかける。と、すかさず隊長は鋭い口調で制止した。
「動くな! てめえら、何があっても絶対に持ち場を離れんじゃねえぞ。一歩でも動いた奴は全員ぶちのめす。」
怖い顔で言ったかと思うと、すぐにへらへら顔に戻った。
「お、そうだ。ションベン済ませとこうぜ。空にしとかねえとビビった拍子にビショ濡れになっちまう。ひゃっひゃっひゃっ。」
「そんな冒険するんですかぁ~。」
「ウンコも出るようだったら済ませとけよ。脱糞ってのもありえねえ話じゃねえからな。」
「ひええ~。」
情けない声を出したわりには、俺は自分の気持ちの整理が済み落ち着き払っていた。
 俺は隊長に対して、自分が飼っているよく動きまわる知能の低い愛玩動物に対するような感情を抱いている。外は嵐だ。雷鳴まで聞こえている。そんな中で、この知能の低い動物はあろうことか散歩に行きたいとだだをこねる。気違い沙汰だ。勘弁してくれ。こんな天気の時は家の中にじっとしているに限るんだ。しかしヤツはそんなことなどお構いなしに絶対に散歩へ行くという。どうしても行くとなれば、お世話係の自分が付き合ってやらねばなるまい。こいつの身に万が一のことがあれば、骨の一つも拾ってやる責任がある。俺の身に万が一のことがあれば、こいつが俺の骨を拾って帰るだろう。二人そろってめでたくあの世行きとなったら、それはそれで面白いではないか。……何が面白いんだ。いかれてる。
 俺は確かにいかれていた。これまでずっと冷静なつもりでいたが、本当は発狂寸前だったんだ。じっと包囲され、できることもなく、昼夜の別なくチクチクと嫌がらせの矢が飛んでくる。今朝は食事中の箸にまで矢がぶち当たった。ここで俺は気付かぬうちに我慢の限界近くまで苛立っていたのだが、俺より一瞬だけ早くブチきれる奴がそばにいた。おかげで俺は冷静さを保ったまま今まで過ごしていられたのだ。自分より短気な奴がそばにいてくれるのはありがたい。自分は紳士面しんしづらをして「やめろよ」とか「落ちつけよ」とか言っていればいいのだから。図らずも隊長の冒険に付き合うハメに陥ってしまったが、誰も俺のことを短気で馬鹿な奴だとは思うまい。その評判は隊長が一人で担ってくれるわけだ。馬鹿もたまには役に立つ。



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