十六、定軍山の十一日間(8)

 我々が敵陣の前に調理台を設置するのを、敵は固唾を飲んで見守っている。夏侯栄を陥れるための罠であることは明らかだ。しかし、調理台にもし何か乱暴をすれば、また仲間割れが始まるだろう。奴らは大人しく見守っているしかないのだ。
 夏侯栄が柵の手前まで出て来て、
「季寧よお、おまえ何やってんだよ。」
と訊ねる。
「見りゃあ分かるでしょう。麺作りですよ。拉面めんうちと水が四対一でしたね。ヨモギの葉っぱを焼いたやつも用意しましたよ。」
「へえ、拉麺作るのか。楽しみだな。」
素直に感心している。俺にまともなものが作れると思ってんのかよ。馬鹿かよ。
「水は一気に入れちゃっていいんですか?」
「うん。ドバーッと入れてせっせと撹拌すりゃいいよ。んで、こんなんで麺になるのか? ってくらいのポロポロしたちっちゃい塊りになるけど、捏ねればまとまるから。水が均等になじんでから捏ねるんだぜ。」
う~ん、こんな、口頭で指導できるような内容じゃダメだ。
「水の温度、熱すぎかもしれない。微妙に温かいような気がするんですけど。」
「人肌くらいだったら、熱すぎるぜ。」
「う~ん、人肌って言われても。」
わざとらしく自分の首筋や腕を触って考え込むふりをする。
「微妙……。耳たぶくらいの温度でいいんですかね。」
「はあ? お前の耳たぶの温度がどのくらいかなんて知るかよ。」
夏侯栄が気軽に陣地から出てきた。なんて親切なんだ。敵がハッと息を呑む気配が伝わってきた。しかし、黙って見ているしかないのだろう。迂闊に引きとめれば、グズグズやってると水温下がっちまう、とか言って暴れ出す恐れがあるからだ。
 隊長は猫の子でも扱うように無造作に俺の耳たぶをピッと引っ掴み、
「おっ、いい温度だな。」
と言いながら丁寧に手を洗い、麺打ち用の水に手を差し入れた。と、たちまち顔色を変えて固まった。マズい。
「……この水よお、完全に常温じゃねえのか。明らかに冷たすぎるようだぜ。」
う~ん、グズグズやってる間に冷めちゃったんじゃないですか、なんて苦し紛れの言い訳をしたら、隊長激怒しそうだ。
「はい。これは汲み置きしてある水を無造作に持って来ただけです。」
「なんだと? やる気ねえのか。」
「ないです。これは隊長を誘き出すための罠ですよ。自分、料理なんかに興味ないです。」
隊長は目を閉じて眉間に皺をよせたまま固まっている。怒ったのだろうか。突然俺を地べたに引き倒したので殺されるのかなあと思っていると、ボコボコと盾が物を撥ね返す鈍い音が聞こえた。伏兵による一斉射撃が始まったらしい。
 夏侯栄は俺が持って来て調理台の横に立てかけておいた盾と調理台との間に身を伏せている。ついでに俺も保護して小麦粉の入った料理鉢もちゃっかり保持している。そして
「お前、いい仲間を持ったなあ。」
と笑っている。確かに。俺を犠牲にしてでも夏侯栄を仕留めようというんだから、みんないい根性してやがる。



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