二十四、賞月(13)

 西に傾いた月を眺めながら南湖に向かう。目的地まであと二里くらいの地点で、前方に張屯長が一人で歩いているのを発見した。俺達はかわいらしく駆け足で張屯長に近付いて朝のあいさつをする。
「おはようございます。」
「おはよう。」
不機嫌そうだ。
「隊長と一緒じゃなかったんですか?」
「うん。」
けんかでもしたのだろうか。一人で南湖に向かっているなんて。
 南湖の集合地点に近付くと、隊長が地べたに倒れているのが見えた。びっくりして駆け寄ったら、隊長は何事もなかったようにむくりと起き上がって笑顔で
「おはよう。」
と言った。なんなんだよ。びっくりさせやがって。
「あのお、いま地べたに倒れてましたよね?」
「いやいや。コオロギ。」
地面を指さす。草の中にコオロギが鳴いている。なんだよ。わざわざ地面に寝そべってコオロギを観察していやがったのか。酔狂な野郎だ。張屯長が突然
「隊長!」
と怒鳴った。
「もう、なんで一人で黙ってさっさと帰ってきちゃうんですか。失礼じゃないですか。」
ふだんなら「俺失礼な奴なんだ」とか答えそうだが、今日はしおらしく
「ごめんなさい。」
と謝った。
「一体なにが気に入らなかったんですか?」
「いや、突然上がりこんで夜中までぺちゃくちゃしゃべってた迷惑料を請求されたらやっかいだと思って逃げて来た。」
「そんなことするわけないじゃないですか。」
「どうか主人を引き立ててやって下さいとかいう趣旨で貢物でも贈られたら面倒くせえと思って逃げて来た。」
「そんなもん、黙って受け取っといてしっかり引き立ててくれればいいじゃないですか。」
「いや、べつになんにも貰わなくてもちゃんと可愛がりますよ、当然。奥さん怒ってた?」
「悲しんでましたよ。なにか失礼があったんじゃないかって。」
「それは申し訳ないことしたなあ。俺あとう限り丁寧な文言でお手紙書いて置いといたの読んでくれた?」
「読みましたけど、丁寧すぎて解読不能なんですよ。暗号文かと思っていろいろ考えてみたんですけど。ちゃんと相手を見て平易な文章で書いて下さいよ。」
「書き言葉って難しいな。」
「しゃべってる時と文章とで完全に別人ですよね。司馬相如しばしょうじょの手紙かと思いましたもん。どこか遠方の夢見がちな生娘と文通でもして愛を育んだ挙句実際会ってみたら、きっと相手はガッカリするでしょうね。」
「そういう時の女のガッカリ顔はさぞ見ものだろうな。」
「張屯長、隊長は変態なんですよ。女のガッカリした顔を見て喜ぶ癖があるんです。」
「ほんとロクでもないですね。」
隊長はヘラヘラと笑っている。このろくでもないヘラヘラ顔を見ると世俗の欲がスーッと抜け、奇妙な安堵感に包まれる。



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