二十五、鏡(16)

 翌朝、俺が起きた時には隊長は何事もなかったように拉麺を伸ばしていた。鍾師範が部屋から出て来て
「うおヤッター! とうとうありつけるぜ。」
と寝ぼけた発言をするので、隊長はぷっと吹き出した。
「ほらお前、やっぱり忘れてやんのな。絶対こうなると思ったぜ。ほんと相変わらずだな。」
「忘れたってなんのことだよ。」
「お前昨日の晩とっくに拉麺食って泣いて喜んでた。」
「はあ? まっさかあ。韓師傅の拉麺食ったら忘れるわけねえじゃん。そうやって俺を騙して楽しいかよ。」
「騙してねえ。お前記憶力が悪いうえに猜疑心さいぎしん強えな。」
「だって忘れるなんて信じられないよ。」
「お前にはまだまだお前の知らないお前がいるってことだよ。酔った勢いで女に結婚の申し込みでもしたら大変なことになるな。」
「さすがにそれは忘れねえよ。」
「どうかな。今日拉麺を食わしてやっても、明日にはまた忘れてるんだろう。」
そのおそれもありそうだ。鍾師範は二日酔いというよりはまだ楽しく酔ったまま起きてきている。
「忘れたらまた食いに来るよ。その時はまた立ち合いの相手してやる。」
「一回やりゃあ充分だ。面倒くせえ。」
「わざわざ呼び出しといて面倒くせえとは何事だ。」
「ここにいるお育ちのいいよい子たちへの見世物としてイヤイヤやったんだ。おれ立ち合いなんて嫌いだよ。怖えし痛えし面倒くせえばっかじゃねえか。」
「わざわざ相手してやったってのに受け取る言葉はそれかよ~。あんまりじゃねえか。」
「拉麺食ったら忘れるよ。はい、どうぞ。おまちどおさま。」
鍾師範は大人しく椀を押し戴いた。そして一口すすると昨晩と同じようにほいほいと号泣し始めた。
「ほらさっさと食えよ。伸びるよ。」
可笑しそうに鍾師範を見ていると思ったら、俺のほうを向いて
「ところで何のんびりしてるんだ。点呼は?」
と言った。そうだった。兵隊の朝は脱兎のごとしなのだ。
 俺達が点呼や健康観察をするあいだ、二人でどんな話をしてるのかな。どうせ他愛のない話ばかりだろう。そして鍾師範は一晩寝たら今のこともすっかり忘れているかもしれない。今まで隊長のことを変わった奴だと思っていたが、張車騎親衛隊の中ではまともなほうだったのかもしれない。



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