二十五、鏡(17)

 朝食後、鍾師範はご機嫌であっさりと帰って行った。ほんとに立ち合いをして拉麺を食いに来ただけだったんだろう。恬淡てんたんとしたものだ。隊長はまた俺を伴って街道まで見送りに出て、鍾師範が見えなくなるまでその場に立っていた。姿が見えなくなって、さあ帰ろうかと隊長が馬の向きを変えようとした時に、俺は昨日から気になっていたことを聞くことにした。
「隊長、一つ質問よろしいでしょうか。」
「はい、なんでしょう。」
さっと馬を下りて目線を合わせてくれる。
「きのう鍾師範と似てるって言われた時に、鏡を取り出して鍾師範に貸してあげてましたけど、どうして鏡なんて持ち歩いてるんですか? 時々こっそり自分の顔を映してうっとりと見とれる趣味でもあるんですか?」
「いや。あれは軍事用だ。」
「昨日みたいに目くらましをするためですか?」
「いやいや。市街戦の時にね、建物の陰なんかにいて、向こう側の状況を確認したい時に、どうなってるかなってひょいっと頭を覗かせちゃうと危ないからそっと鏡を差し出して向こう側を映して見るんだよ。」
「それを常に肌身離さず持ち歩いているんですか?」
「なんとなくね。でもまあたぶん一生使うことはねえと思う。」
「一生使うことはないっていうものを常に持ち歩いてるって、おかしくないですか?」
「おかしいよな。」
隊長は今この時も身につけている鏡を、ふところから取り出してしげしげと眺めた。
孫子そんしでも六鞱りくとうでも、市街戦のやりかたなんていっさい書いてねえんだよ。それ、なんでだと思う?」
「ええっと、昔は市街戦なんてやらなかったからじゃないですか? だって孫子そんし太公望たいこうぼうの時代って、平原で貴族が戦車に乗って戦ってたんですよね。」
「へえ、物知りだな。」
「常識じゃないですか。」
隊長はにこっと笑うと、ふたたび鏡に目を落した。
「俺はさあ、市街戦なんてやるなって意味だと思うんだ。国と国との戦でね、市街戦に持ち込んでまでどうこうしようっていう下衆げすなことを考える野郎には戦いを仕切る資格はねえってことなんじゃねえかな。市街戦までやらなければ事態を打開できないほど追いつめられているとしたら、それはもうとっくに負けてるってこと。」
「なんか、どっかの文言にありましたね。戦う前に勝てるのが一番よくて、戦うなら野戦で勝つのがよくて、攻城戦まで持ち込むのは下策なんでしたっけ。」
「そ。攻城戦が下策。市街戦は論外。」
隊長はにわかに恐ろしい顔をした。
「なのになんでわざわざこんな鏡まで作って俺らに持たせやがるんだ。馬鹿かよ。」
憤怒の表情で鏡を地べたに投げつける。銅鏡は鈍い金属音をたてて転がった。
「というつもりで、持ち歩いているんだ。」
ふだんのへらへら顔に戻り、鏡を拾い上げて懐にしまう。
「えっと、それって結局どういうつもりで持ち歩いてるんですか?」
「だからさ、もしも誰かが市街戦やるぞってほざいたら、バッキャローっつってそいつのツラに投げつけるための凶器として、肌身離さず持ち歩いてるんだ。」
「なるほど……。」
市街戦なんかさせねえぞっていう決意を託した品物か。ふうん。なんだか知らないが、――偉い人だな。



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