二十七、徙民考(しみんこう)(6)

「ここらに濡れて困るものはこれしかないんだから、これだけよけてからゆっくり拭きゃあいいじゃねえか。何か起こった時は、慌ててやみくもに動きだすんじゃなくて、まずは見るんだぜ。」
「はい。すみませんでした。」
「二回も謝んなくていいよ。」
「異度くん、ごめんねえ。ここにあったお菓子、ぜんぶ食べちゃった。だっておいしすぎ。」
「おいしかったですか。それはよかった。」
満足げににっこりと笑ったかと思ったら、突然ゲラゲラと腹をかかえて笑い始めた。
「ギャハハハ、やってくれるぜ。手始めにジャーっとお水をこぼさせておいて、水がこぼれたぐらいで怒んないよって笑顔で許すような下地を作らせておいてから、お菓子ぜんぶ食べちゃったって謝るという合わせワザ。」
「えっ、いやいや、違いますよ。決してわざと水をこぼさせたわけじゃないですよ!」
「アハハハ、異度くん疑いすぎ。」
「おっとしまった。自分の腹黒さを基準にして他人様ひとさまの振る舞いについて邪推じゃすいしてしまった。ギャハハハハ。」
「ところでさあ、異度くんは長坂ちょうはんの戦いの時、現場にいたんでしょ?」
うわあ、それ聞いちゃうんだ。スゲエな。
「え? いえ。長坂にはいなかったですよ。」
「あれっ、そうなの? だって異度くん襄陽じょうように住んでたんでしょ? 城に残って曹操を迎え入れた側にいたの?」
「いえ。実はその時ちょうど家出中でした。」
「えーっ、家出~? 意外~。それ親不孝なんじゃないのオ?」
「そう言われると一言もないです。」
こう言ったきりうつむいて押し黙った。
「アハハハ。一言もないって言って、ほんとに黙っちゃったね。」
黙ってるのはいいけど微動だにしねえな。まさか「親不孝」という単語が丞相じょうしょうの妖術を解く呪文だったんじゃあるまいな。ひょっとして死体に戻っちゃった? 不気味に思いながらおそるおそる覗きこんでみる。……あれっ? エエ~、またかよ~。
「あっ、ごめんね。いけないこと言っちゃった?」
「ちょっともう、いいかげんにして下さいよ。どんだけ泣き虫なんですか。情緒不安定なんじゃないんですかぁ? メソメソ泣いちゃって、うつなんですか? 冬場は調子いいんですよね?」
李隊長と二人がかりであれこれ声をかけるのに対し、隊長は首を振ったり頷いたりしながらメソメソと泣いている。ほんと呆れる。すぐ泣くんだもん。マジうぜえ。と思いながら眺めていたら、突然顔を上げた。
「ところでなにのんびりしてるんだ。そろそろ休暇に入る奴の集合時間だろ?」
「あっ!」
「よいお年を。」
ニヤニヤ笑いながら手でシッシッとされた。なんだよ。



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