三十、春雨(1)

 日差しがぽかぽかと気持ちいい。桃の花のつぼみもふくらんできた。もう春だ。花の開く頃にはまた隊長が季節性ウツに陥るのだろうが、今はまだ時期ではないらしく、にこやかに朝礼台に立っている。
「今日は一つ面白いお知らせがあるぜ。」
へえ、なんだろう。休みボケもすっかり抜けて馬鹿集団に戻った俺達は瞳を輝かせながら隊長に注目する。
「我らがかたき司馬仲達しばちゅうだつさんが、大将軍に昇進なさったってよ。」
エ~、って感じで、みんなどよどよと何かしゃべる。馬鹿の王仲純が大声で
「面白いお知らせじゃないなじゃいですか。」
とぶうたれると、みんなもつられてわあわあと騒ぎだした。単純な連中だな。べつに司馬懿の役職がなんだってどうでもいいじゃないか。隊長は笑顔で答える。
「面白いよ。俺らが目をつけてる野郎がキッチリ昇進してるってことは、やっぱ狙うだけの価値がある奴ってことじゃねえ?」
大声を張り上げるでもなく笑顔で自然にしゃべっているのに、馬鹿どもの怒号の中でよくこんなに声が通るな。ぜったい妖術だろう。みんな納得しておとなしくなった。
「大将軍だろうが王様だろうが生身には違いねえ。ぶった斬れば死ぬぜ。」
みんな嬉しそうにどよどよとしゃべる。野蛮人だ。
「誰がやる? 季明きめい?」
「えっ、……。」
こういう時、どうしていつも季明を指名するんだろうな。季明は気が弱いんだ。確か、隊長が着任したその日に、餡餅シャンピンの材料を分配する係にもこいつを指名して困らせていた。その時は俺がブチ切れて、隊長がやって下さいよ、って言って季明をかばったんだ。今日は季明が困惑顔を見せる前に、続々と立候補者が現れた。
「ハイッ!」
「俺がやります!」
「俺、俺!」
隊長は満足げに笑った。
「じゃあみんなで仲良く滅多斬りにしてやりな。めんじゃねえぜ。」

 その日から、四泊五日のお泊り遠足に出かけた。行程およそ七百五十里。張車騎の思い出の地である葭萌かぼうまで行って、とんぼ帰りして南鄭なんてい城外の訓練用の城壁によじ登って終了だという。隊長のやつ、遠足の締めに城壁を登らせるの、好きでやんのな。
 突然思いついてさあ出発だ、と言われても、誰も慌てない。実に異常だ。俺達は異常な隊長に慣らされて異常な兵隊になっている。ちなみに、今回の遠足は司馬仲達しばちゅうだつさんの大将軍昇進を祝う記念行事らしい。なんのこっちゃ。どうして敵の将軍のお祝いなんてするんでい。ま、いいけどさ。
 一昨年に六百里の行軍をした時と同じ道をたどり、前回折り返し地点だった明月峡を今回は通り越し、その先の葭萌かぼうで折り返す。行程が百五十里伸びて、日程が一日長くなっているが、隊長はニヤニヤと笑いながら
「最後の一日は、それはそれはキッツイぜ~。単純に一日伸びるだけだと思うなよ~。」
と楽しげに言っていた。ふうん。そんなもんかな。



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