三十、春雨(2)

 軍歌を歌いながらルンルンと山道を登る。くねくねくねくね。慣れたものだ。天気は気持ちの良い薄曇り。小鳥が楽しげにさえずっている。軽く汗をかきながら息も切らさずに登りきる。この軽々とした感じはなんなのだろうか。ひょっとして、我々は夜中に一体ずつ改造されて身体の材質を全て軽量素材に交換されているのではなかろうか。小休止のたびに、各自あたりまえのように汗を拭ったり履き物を脱いだり自分の世話をする。こういうことも、最初のうちはいちいち言われながらやっていたのだが、長距離を歩く練習をする度に言われるからもう行動様式として体に染みついた。
 西漢水せいかんすいが見えてきた。黄金色にキラキラと輝いている。おととし来た時と同じ時間配分らしい。美しい夕べだ。スーっと空気が冷たくなってくる。これから暗くなって、風景も単調になるんだろう。魔境の入り口だ。
 真っ暗闇の中、松明たいまつをガンガン灯して早足で歩く。ワクワク。何が楽しいんだか知らないが、気分が高揚している。周りの風景はいっさい見えないが、前にも後ろにもいつもの仲間が歩いているのが手に取るように分かる。隊長の馬の足音がカポカポいっているのも聞こえる。世界がどんなことになっていようとも、この列の中に入っている限り母親の胎内にいるごとく安らかだ。

 行軍二日目、朝靄あさもやのいい匂いをクンクンかぎながら歩く。いい気持ちだ。風景はうんざりするくらい単調だが、そういうもんだっていうのはもう分かっているから驚かない。ぺちゃくちゃとおしゃべりをしながら進む。李文喜りぶんきがわざと退屈そうな声をあげる。
「隊長~、山椒飴さんしょうあめないんですかあ?」
「あります。」
「ゲッ、やっぱあるんすね。」
「ま、そのうちやるよ。お楽しみに。」
みんな楽しげにガヤガヤと山椒飴の話題で盛り上がる。なにが楽しいんだ。馬鹿じゃねえか。

 三日目だ。明月峡めいげつきょうを通り越して葭萌かぼうに至り、折り返してまた明月峡に戻る。「ここが錦馬超きんばちょう万人敵ちょうひの激闘の地、葭萌関かぼうかんだぞ」とかいう観光案内もなく、せっかく開けた場所に出たのにみんなでわーっと集まってはしゃぐでもなく、桟道さんどうの中にいる時のように列のまま折り返す。なんかつまんねえ。隊長は例の如く、折り返して来る部下たちを一人一人笑顔で小突く。俺の番がきた。なんだか懐かしい。折り返しの行軍が始まったら、またしばらくはこの顔も見られなくなるだろう。せいせいするぜ。
 せっかく人里に出たのに、また山道に分け入って行く。日も暮れて行く。胸をかきむしられる思いだ。



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