三十一、寝言(4)

「あなた方の言うことはいっつも意味不明なんだ。」
「分からないかなあ、鶏犬相聞けいけんあいきこゆっていう単純な夢物語が。俺はそれをまんざら夢物語だとは思っちゃいねえってだけだ。」
「漢中はそうだったんですよ。ここに大人しく閉じこもってればいいだけの話じゃないですか。」
「俺は万里に家が立ち並びっつったんだぞ。漢中じゃあせいぜい百里じゃねえか。ここにいっくらちっぽけな理想郷を築いたって、そんなものはよその連中が放っといてくれねえってのは十五年前に証明されただろ。往時の漢中の繁栄を謳歌してた人たちが今ごろ魏でどんな暮らしをしてんのか知らねえがよ。」
「それは張魯ちょうろが曹操に降伏してしまったからです。山を盾にして鉄壁の防御を敷けば千年かかったって攻められるもんじゃありませんよ。」
「ここはいいところだな。壺中天こちゅうてん。ここに立て篭もっている限りは母親の胎内にいるごとく安泰だ。しかし人間様はそういう生き方はできねえ。狭えっつって大騒ぎしてオギャアと生まれなけりゃあなんにもできねえぜ。お袋さんの腹ん中でずうっと過ごそうなんて思ってたら母子ともに死んじまうよ。山に囲まれてるから安心だっつって千年も立て篭もってたら防御の連中は刀の持ち方も忘れちまう。その時が漢中の蹂躙じゅうりんされる時だ。」
「あなたいったい何者なんですか? 鷹派の論客ですか?」
「軍人だよ。」
「三百年後の話をする軍人なんているわけないじゃないですか。いったい誰に何を吹き込まれてるんですか?」
隊長はニッと笑った。
「丞相も、なんでもっと、できる! って強く言ってくんねえのかな。一昨年おととしの年末の遠征前に奉った表文なんか、なんとも弱腰じゃねえか。放っとくと敵はどんどん強大になるばっかだからさっさといちかばちかでやるしかねえって論調だったよな。そりゃ違うんじゃねえか。敵さんだって決して安泰じゃねえ。俺達のやることはいちかばちかの悪あがきじゃねえ。キッチリ勝てる筋書きはあるのさ。相手が強大で我々は弱いって前提で話してなんになるっていうんだ。本当の敵は広大無辺の大地から雲霞のごとく集まって来る精兵じゃねえ。勝てっこねえと思い込む己の内なる怯懦きょうだだ。」
「そう思ってるんなら、隊長がご自分で宣伝して回ったらいいじゃありませんか。」
「俺が何をくっちゃべったって、馬鹿が寝言を言っているようにしか思ってもらえねえ。それよりは黙って司馬懿でもぶった斬ってやったほうが、おっ! って思って貰えるだろうぜ。」
「そういう目的で司馬懿を殺せって言ってるんですか?」
「べつに俺の説に説得力を持たせるためにやってくれってわけじゃねえ。この戦いはやるしかない。そして俺達にはできる。そういうことだ。」
俺はまあまあ真面目に話を聞いていたつもりだが、不意にあくびが出てきて止められなかった。隊長ははにかんだように笑った。
「うっかり余計なことをぺらぺらとくっちゃべっちまった。夜更かししすぎて神経おかしくなってるせいだぜ。さ、もう寝よ。」
……三十男のはにかみ笑いはキショい。



※ 「一昨年おととしの年末の遠征前に奉った表文」についてご興味がありましたら「はじめての三国志」の過去記事をご覧下さい。
 ⇒⇒【後出師の表】は味方の士気を下げるダメダメ偽造文書だ!

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