五、魔境(10)

 早歩きは苦にならない。天気もいいし、楽しい。周りの風景も生き生きと動いている。ルンルンと坂道を下る。と、隊長が突然
「早い!」
と怒鳴った。
「早い早い! ころころ転がってく球体じゃあんめえし、元気なあんよがあるのになんで坂に引っ張られてトットコ行っちまうんだバッキャロー!」
うるさい奴め。いいじゃねえかよ。下り坂、楽なんだよ。
「オラ歌え! 国殤こくしょう!」
  操呉戈兮被犀甲…… (呉戈ごかり 犀甲さいこうて……)
「歩幅が違う!」
いつも通りだと思うが。たいへんご不興だ。と思っていたら、なぜだか渋滞発生、しかたなく立ち止まって前の連中が進むのを待つ。なぜか突然前方がポカッと開き、追いつくために走る。これはマズい。こんなことをやっているとバテてしまう。焦っていると、隊長が
「止まれ! 小休止!」
と怒鳴った。さっき小休止をとってからいくらも歩いていないのだが……。
 なんか怒られるのかなと思ったが、黙っている。不気味だ。隊長は小休止のたびにぺちゃくちゃとくっちゃべる奴なのに。怒るならさっさと怒れ。……いつまで黙っているんだろう。不気味だ。と思っていたら、普通に明るい声で呼びかけた。
「前の諸君さあ、さっき後ろの方、渋滞したり走らされたりしてめちゃくちゃになっちゃったんだよ。いつも通り歩いてくんないとそうなっちゃうから。気を付けて。」
……いや、普通じゃない。隊長ふだんこんな柔らかい言い方する人じゃなかったな。
 行軍を再開する。おそるおそる歩く。いつも通りだと思うが……。
「はい、もう一回歌って、国殤。」
  操呉戈兮被犀甲…… (呉戈を操り 犀甲を被て……)
「止まれ! 小休止!」
え~、べつに休憩したくないっス。こんなことやってたらいつまでも着かないス。
 みんな不気味がって静まりかえっている。隊長も黙りこくっている。なんだよこの時間。なんの嫌がらせなんだ。隊長がしんみりと
「俺は悲しいぜ。」
と言った。ああ嫌だ。これはネチネチと嫌味を言われる前触れだ。
「さっきみたいに走ったり止まったりしてたらバテちゃうじゃん? 今日はただの遠足だからいいけどよ、もし実戦で、坂の出口にあるとりでをこれから攻めますとか、伏兵ふくへいに遭いました、とかいうことになったら、どうなんのかな。バテバテじゃなんもできねえじゃん? 全滅? おお怖え。危険すぎるだろ。だからすっげえキッチリ歩いてほしいんだけど。それができねえってんならまあ仕方ねえな。一緒に死のう。ご愁傷様。」
「隊長、言い方が嫌味すぎますよ。もっと普通に言えないんですか?」
思わず叫んでしまった。
「ギャハハハ、嫌味にネチネチ言わなかったらブチ切れて怒鳴って暴れちまう。俺様はいま爆発寸前だ。頼むからキッチリやってくれ。それとも、マジでできねえのかな? そんなら怒ったって仕方ねえな。」
隊長はひとしきりケラケラと笑った後、行軍を再開した。



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