書と美人画の名人 智将・張飛の故郷「張飛店」

中国河北省の涿州博物館のホームページに、従来の張飛のイメージをくつがえす素敵な記事を見つけました。
私こと まるクルル、その和訳を掲載させて戴きます。

涿州博物館ホームページ:
http://www.zzbwg.com/HomeS/Index/
当該記事掲載ページ:
http://www.zzbwg.com/NewS/ShowS/115/
原題:张飞与张飞店 記者:杨少山

【和訳】

涿州の西南十里の地点にひとつの村があります。名前は張飛店、あるいは忠義店といいます。これが三国志の名将、漢の桓侯張飛の故郷です。後漢の時代、この村は桃庄と呼ばれていました。張飛が劉備・関羽と自宅の桃園で義兄弟の契りを結んだのち、人々は彼らの忠義を紀念するために村の名前を忠義店・張飛店と変えました。

元の至元六年(西暦1340年)の時点には、村の西に威厳にみちた壮観な張飛廟がありました。廟の傍らには張飛が肉を保管した古井戸があり、廟内には古木がそびえ立ち、高くて大きな石碑の上には張飛の足跡が刻まれていました。張飛の泥塑像は威風凜々として、意気揚々としたたたずまいをしていました。手には一丈八尺の鋳鉄長矛を持ち、大殿の中に屹立していました。清代の詩人曹仁虎の「岩岩廟貌凛眉須、想見雄姿敵万夫」という詩句は、私たちに当時の張飛廟の情景を彷彿とさせます。

言い伝えによれば、桃園の誓いの時、張飛は劉備が本物の人物であるかを見抜くために、井戸の上にすだれを敷いただけの席を劉備にすすめました。劉備は落ち着き払って談笑しており、井戸に落ちなかったため、張飛は劉備を天子の器であると嘆息し、心服しました。惜しいことに、張飛廟は文化大革命で取り壊され、砕かれた碑や石が路傍に散らばることとなりました。廟にあった一丈八尺の鉄矛も1958年の大煉鋼鉄の時に溶銑炉に入れられました。現在ではわずかに張桓侯古井遺跡と石碑、そしていくつかの逸話が残っているのみです(※1)。

張飛の家は決して貧しいほうではなく、家には少なからぬ田畑と桃園がありました。張飛は小さい頃から父親と一緒に豚肉をさばいて売っていました。夏には家の前にある井戸に生肉を貯蔵していました。

張飛はかんしゃく持ちで気性が激しく、読書を好みませんでした。いつも村の子供たちとけんかをしてはもめ事をおこしていました。七歳になると、父親は張飛のためにしばしば家庭教師を雇いましたが、そのたびに家庭教師が張飛に腹を立てて出て行くか、張飛によって追い出されました。このため、父親はいつも張飛を家に閉じ込めて厳しくしつけていました。

張飛の母方のおじの李志は張飛が幼いながらも高い志を持っていることに気付き、張飛の前途を誤ることをおそれ、王養年という武将を張飛の先生として推薦しました。王養年はもとは朝廷で官についていた人で、知略と武略に通じていましたが、朝廷の腐敗と愚昧に愛想を尽かし、かぶとを脱いで(官を辞して)田園生活をしながら人に学問を教えて生計をたてていました。不思議なことに、王養年は張飛に会うと非常に気に入り、張飛は王養年に畏敬の念を抱きました。そしていちずに敬意を持って教えを受けました。王養年は張飛に学問と武道の両方を教えました。張飛の進歩は早く、十三歳になったばかりで『春秋』を読み、『左伝』を見て、『孫子の兵法』に精通し、武芸にも熟達しました。

ところが、詩書を理解してものの道理や義について分かってくると、張飛は世の中のありさまに不平を覚えるようになり、天下をうち平らげて民衆を救うのだと息巻くようになりました。王養年はこのままいくと張飛にとってよくないことになるだろうと心配し、情操教育のために書道と美人画を練習させました。手取り足取り教えて三年が経つと、張飛の書と画の腕前は有名になってきました。張飛の書法には独自のスタイルがあり、独特の風格をそなえていました。張飛の書いた摩崖字(崖や大石に書き記した文字)は後世の人たちに賞賛されました。清代の詩人紀昀(きいん。『四庫全書』を編纂した人)は次のような詩を書いています。「慷慨横戈百戦余,桓侯笔札定然疏。哪知拓本摩崖字,車騎将軍手自書(※2)」

張飛の絵画は、漢代の画家曹不興に比肩しうるほどでした。『歴代画征録』にはこう記載されています。「張飛:漢の涿州の人。美人画の名人。」
言い伝えによれば、かつての涿州鼓楼北墙の壁画「女媧娘娘補天図」と房樹村西万仏閣内の壁画は張飛が描いたものだそうです。

張飛は心を込めて書法を修め美人画を描いたため、粗の中に細のある(おおざっぱな中に緻密さのある)性格になりました。『三国志演義』や『後漢演義』にあるエピソード「張飛 計をもって曹将劉岱を捕らえる」「張飛 智をもって瓦口隘を取る」「当陽長坂坡にて独りで曹操の百万の兵を退く」「巴蜀を取り義をもって厳顔を釈す」などの描写から、張飛はただ雄壮で武威があり万人の敵と呼ばれるほどの虎のような臣下であるだけでなく、粗の中に細のある知略にすぐれた上将であることを知ることができます。これらの特徴は、若い頃の情操教育と性格の陶冶に関係しています。

張飛が16歳の時、王養年は病没しました。張飛は師のために盛大な葬礼を行い、墓碑を建て、「王公養年之墓」と刻みました。この墓碑は近年まで存在しており、村の外で見たことがあるという人がいます。
後漢の末年に劉備・関羽・張飛が桃園の誓いをしてからは、張飛は劉備・関羽と行動をともにし、情は手足のごとく、恩は兄弟のようでした。あるときは戦場で戦い、あるときは謀を帷幄の中にめぐらし、漢室の天下三分に犬馬の労をつくし功績を積みました。のちに部下の張達と范彊によって殺されました。
張飛は従軍する以前、いつも城の西側五里の地点にある水のきれいな池で馬を洗っていました。張飛が家を捨て国に仕えてから後、村人は張飛が馬を洗った場所を桓侯洗馬潭と呼ぶようになりました。昔の人は張飛をしのんで詩にこう歌いました。「鉄面丹心上将才,荆襄莽蕩陣雲開。横矛去佐三分業、無複澄潭洗馬来」

【和訳おわり】

※1:張飛廟は1991年に再建されました。
※2:「戈を持ち戦っていた張飛であるから書は下手であろうと思いきや、拓本になっている摩崖字は張飛の書いたものなのである」桓侯は張飛の諡号(死後に送られる号)、車騎将軍は張飛の役職、哪は疑問代詞

※涿州博物館に下記のメールを送ったうえで掲載しています。

【メール1】
《关乎贵馆网站所载信息“张飞与张飞店”的翻译及转载》

涿州博物馆:
欣闻贵馆事业日进,深表祝贺。

我是日本的一个三国迷。偶尔看到
贵馆网站所载的信息“张飞与张飞店”(杨少山先生所写),十分感动。
日本大部分人只知道张飞雄壮威武的面貌,不知道他粗中有细、足智多谋的特点。

我愿意给我国许多爱好三国的同胞们介绍这号贵重信息,
因此把“张飞与张飞店”翻译成日语,预定从6月30日起,
向我私人网站https://www.3594.fun上载。
我相信这号信息使日本人更喜欢张飞,对涿州更感兴趣。

我私人网站https://www.3594.fun的内容仅是
自己写的三国小说和有关三国或中国的一些随笔而已。
仅爱好三国,其它没有任何主张。

上述事宜,我恳请贵馆应许。
如果有条件,请跟我联系。

非常感谢贵馆使我进一步了解张飞深奥的魅力。

  此致
敬礼!

xxxx;(网名:xx)
2018年6月20日

【メール2】
涿州博物馆:
关于2018年6月20日递给贵馆的电子邮件
《关乎贵馆网站所载信息“张飞与张飞店”的翻译及转载》,
明天2018年6月30日我就把翻译成日语的“张飞与张飞店”向我私人网站上载。
如果有问题,请跟我联系。
谢谢!
xxxx;(网名:xx)
2018年6月29日
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(投稿

“書と美人画の名人 智将・張飛の故郷「張飛店」” に8件のコメントがあります

  1. I would like to thank you for the efforts you’ve put in writing this website.

    I’m hoping to see the same high-grade blog posts from you later on as well.
    In fact, your creative writing abilities has motivated me to get my own site now 😉

    • コメントありがとうございます。
      記事を楽しんでいただけたようで光栄です。
      cheltenham tipsさんもサイト運営をなさっているんですね。
      ぜひ楽しんでご活動なさって下さい。

    • お褒めいただきありがとうございます。
      このページで紹介しているのは涿州博物館のサイトに掲載されている「张飞与张飞店」という記事の翻訳です。
      涿州博物館の「张飞与张飞店」はこちらのアドレスです↓
      http://www.zzbwg.com/NewS/ShowS/115/
      涿州博物館のこちらのページから他の記事も読むことができます↓
      http://www.zzbwg.com/NewS/ListS/6/0/2/6/
      楽しい記事がみつかるといいですね。

    • 記事を読んでいただきありがとうございます!
      この記事は涿州博物館の記事の日本語訳ですので、日本語を読むのが得意な人にはいいかもしれませんが、そうでない場合は涿州博物館の中国語の記事を読むのと変わらないかもしれませんね。
      涿州博物館のサイトにはこういう記事がいくつかありますので、ご興味があればご覧になってみて下さい。

    • コメントありがとうございます!
      張飛が美人画の名人だという民間伝承は以前に本で読んだことがあり、googleで「張飛 美人画」で検索したら涿州博物館の記事がでてきました(いま試したら出てきませんでしたが……)。
      お役に立てたようでしたら光栄です。

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