五十六、生贄(いけにえ)(2)

隊長は目を丸くした。
「いえ」
「アハハハ、有名な話だよ。異度くん、オレによっぽど関心ないんだねえ」
隊長は申し訳なさそうな顔をしながらお茶を勧めた。
噂話うわさばなしたぐいにはうといので」
「ねえ、蜂蜜入れてよ」
「はい」
申し訳なさそうな表情のまま従順に李隊長のお茶に蜂蜜を注ぐ。
「ああ美味しい」
甘いお菓子を食べながら甘いお茶を飲むなんて、どんだけ甘党なんだ。隊長が叱られた犬のような表情で李隊長の顔を見上げると、李隊長は話を続けた。
「オレ入営前のことも入営した経緯も知らないんだ。なんか半死半生みたいな感じで営門に転がり込んだらしいんだけどさ。足を引きずってるから追い返そうとしたら、自分は馬に乗れる、俺を保護したら決して損はさせない、って言ったから受け容れたんだって。乗馬は特殊技能だからね」
ふうん。李隊長の足はてっきり戦場で負傷したものかと思っていたよ。へえ、入営前からそうなんだ。こういう話題が出た場合、隊長は合いの手を入れるのが絶対ヘタなので、俺が代わりにテキトーに感想を言った。
「実際、損させてないですね」
「アハハハ~、なんかイヤだね。しゃくさわるから今から損させてやろっかな。将来有望な異度くんを口説き落として寿退職させて軍に損失を与えてやろう」
隊長が困惑げにお茶を飲んでいると、李隊長は勝手に話を続けた。
うそうそ。異度くんが望むなら結婚後も仕事を続けてもらって構わないからね。一緒にここで生涯現役で働こう」
隊長がぼそりと言った。
「じゃ結婚っていう形態は不要じゃないですか」
「アハハハ、事実婚? 内縁関係? それ、なんか相続でモメそうじゃない? オレしっかり遺言状を書いといてあげるから安心してね」
「そもそもその事実自体がありえないと思いますけど」
「うわ、またフラれた!」
李隊長は大袈裟おおげさに胸を押さえてのけぞりながら声を立てずに笑い転げた。
「でもさあ、ないと思いますけど、なんて言って、ない! と断言はしないんだねえ」
隊長が突然コンコンと咳き込み始めたから、俺はあわてて言った。
「あのお、隊長は精神的に追い詰められると喘息になっちゃうんですよ」
李隊長は申し訳なさそうな顔もせずに笑い転げた。
「アハハハ、病弱~」
「みんながいじめなければいつでも元気らしいですよ」
「ふうん、じゃあせいぜい優しくしてあげないとねえ。アハハハハ」
隊長は咳き込みながらあたふたと煎じ薬を鍋に入れて、お茶の鍋を炉から下ろして換わりに薬の鍋を置いた。そんなに動揺するほどのことかなあ。三年以上何の進展もなかったのに、今更?

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