五十七、石礫(せきれき)(11)

 渡河訓練二日目、いよいよいかだを河に浮かべる。筏に乗ってよいしょっと岸から離して、乗っかっている状態に慣れたり操縦の仕方を練習したりするだけだ。ほとんど遊び感覚だ。しかし水に入れないので一日中暑い。川の上は風があるのはよいが、日影が全くないからバテる。夕方にはどうにか、えっちらおっちら対岸に行ったり、戻ってきたりできるようになった。
 今日も夕方から部下たちに水遊びをさせておいて、隊長は河に向かって平たい石を投げて水切りをして遊んでいる。何人かの馬鹿隊員が一緒になって水切りの技を競ってはしゃいでいる。このクソ暑いのに水に入らないなんて本当に馬鹿だ。
 水辺か……。隊長の唯一の弱点だな。いや、弱点はいっぱいある。むしろ弱点だらけだ。なのに最強。なんだか、神話にありがちな、愚かだけれども怪力の神のようだ。
 三日目は午前中にいかだでの渡河を練習し、午後は片付けと移動、夜には南鄭なんていに帰って来た。準備、片付け、移動に費やす時間に対して、練習時間が短かすぎるんじゃなかろうか。道中で摘んできた野草のあく抜きをして遊んでいる隊長に素朴な疑問をぶつけてみる。
「せっかく大がかりな準備をしたんですから、もっとみっちり筏の訓練をしてもよかったんじゃないですか? どうしてたった三日で帰って来ちゃったんですか?」
「四日以上になると、将軍に詳細を説明しなくちゃならねえからさ」
「渡河訓練してることがバレないように、大急ぎで帰ってきたんですか?」
隊長はニマニマとしながら手をひらひらと振る。その件にはつっこむなという意味だ。
「え~! 自分が水嫌いだからって、たったそれだけの理由で非効率なことやったんですかア? 信じられない!」
「他の所で頑張って借りは返すからこれだけは勘弁して下さい」
「俺に拝んだってしかたないじゃないですか!」
へらへらと笑いながらヘコヘコと詫びている。まあ、渡河訓練が必要だろうと考えて、水嫌いなのに我慢して水辺に行ったのは偉いと言えば偉いのかもしれないが……。
「でも、隊長、ふつうに筏に乗ってましたよね。べつに実戦で渡河しろって指名されたって、大したことないんじゃないんですか?」
「ただ渡るだけならいいよ。敵が間近にいる時に渡河となると、渡河を妨げられて水に落っこちたりしそうじゃん? おれ泳げるけどきっと恐怖で心停止するよ」
「そんな大袈裟おおげさな。もし万が一隊長が水に落ちてもちゃあんと引き上げてあげますから心配しないで下さいよ」
「溺れる者はわらをもつかむって言うじゃん? ところ構わず掴みかかられて助けに来た奴も溺死するぜ。だからさ、俺は味方が先に安全を確保してくれた場所から悠々と渡るのが一番いいんだよ。もし将軍が俺に真っ先に渡河しろって命令しそうだと思ったら、おれ即座に立ちくらみをおこして倒れてやろうと思ってるんだ」
「そんな消極的なこと言ってるとほされますよ」
「ほされたってかまわないよ。百計げるにかず、命あっての物種ものだねだ」
ケラケラと笑っている。命知らずの猛者もさかと思っていたが、真逆まぎゃくだな。まあ、指揮官が命を大切にする人だっていうのは、悪いことではない。命は時に泰山たいざんより重く、時に鴻毛こうもうより軽い。無駄なところで死なないようにお互い気をつけることとしよう。

《五十七、石礫(せきれき) 終わり / 次話に続く》

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