五十七、石礫(せきれき)(2)

 隊長は沈鬱ちんうつな表情で蹌踉そうろうといずこかへ出かけて行き、夕方にげっそりとして帰って来た。渡河訓練が実施されたのはこの四日後のことだ。外出はおそらく訓練に適した場所を探しに行っていたんだろう。で、ほんとに河を渡んなきゃいけないかな、って三日くらい悩んだ末、四日後に実行となったんだろう。
 へえ、渭水いすいね。訓練は漢水かんすいで行う。風景は大分違うが、川幅や水量は渭水を想定した訓練には十分だろう。野戦築城かと疑いたくなるほどの謎の大荷物を持って川幅の広い地点まで移動する。初日は移動といかだの組み立てで、渡河は二日目にやる。謎の大荷物は筏の材料だった。確かに、渭水は徒歩でじゃぶじゃぶと渡る河じゃないからな。
 部品を番号通りに組むだけだから、ひたすらせっせと作業する。あ~あ。水遊びができると思っていたのに、この炎天下に大荷物を持って歩いた挙句に大工仕事かよ。クソ暑いばっかじゃねえか。休憩時間にむっつりと座りこんでいると、馬鹿隊長の楽しげな声が聞こえてきた。職人出身の趙叔維ちょうしゅくいと一緒に材木の横にしゃがみ込んで切り口を指で触りながら何やら楽しげに話しこんでいる。何が面白いんだよ。俺はよっこらせと立ちあがって、隊長の横まで歩いて行った。
塩飴しおあめ下さいよ。あるんでしょう?」
「ないよ。自分で岩塩がんえん持ってんじゃん。それでも舐めとけば?」
「甘いものが欲しいんですよ。しょっぱいばっかじゃ元気でないじゃないですか」
岩塩がんえんめてみてから言えよ」
さっそく岩塩を舐めてみる。おお? 岩塩、最高! 俺が満ち足りた気分で塩を舐めながら水を飲んでいると、隊長が満ち足りたような表情で俺を眺めているから気色キショかった。
いかだに乗って渡るんだったら、さほど恐怖心もないんじゃないんですか? 三日も悩むほどですかね」
「べつに悩んでないよ。筏の部品をこっそり手配したから時間がかかっただけ」
「え、なんでこっそりなんですか?」
隊長はニマニマと笑った。
「ご想像にお任せします」
「ああそっか、こんな練習をしてるっていうことが将軍にバレたら、実戦で渡河が必要になった時に自分のところが真っ先にやらされるから、そういう事態を避けてやろうっていう消極的な思考なんですね」
「ギャハハハ。隊長さんがそういう消極的な考えで動いてるなんてことは公然と認めるわけにはいかねえな」
「いいじゃないですか、べつに。隊長の水嫌いはみんなが知ってることですし。それより、そんなに渡河したくないならそもそも渡河訓練やらなければいいんじゃないですか?」
「しかしなあ、地図を見てるとどうも渭水いすいが邪魔っけっつうか、自在に渡河できるように準備しといたほうがよさそうに見えるぜ。橋は敵方が押さえるだろうし」

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