七十九、蜜柑(みかん)(1)

 漢城からは二月に出陣したようだ。機密情報だから詳しくは知らない。
 南鄭なんていにはまだ声がかからない。落ち着かない気持ちのまま花の季節を迎え、花見をする。今回も例によって桃園村とうえんそんに押しかけたが、今年は山でのんびり迷子になっているゆとりはないため初めて街道を通って行った。
 道中、一面に菜の花がまぶしいほどに咲いている。こんな季節には隊長はだいたい鬱だから、ぼんやりと涙ぐんだりしながら花を眺めているのが例年の過ごし方だ。今はおそらく秦嶺しんれいの息も詰まるような桟道さんどうか、あるいは華北かほく茫茫ぼうぼうたる黄土こうどでも踏んでいることだろう。
 街道から踏み込む桃姚路とうようろも悪くない。山を抜けた後の豁然かつぜんとした感じはないが、故郷に帰ってきたようになだらかな桃色の斜面が我々を迎えてくれる。花がこんなに綺麗に咲いているのに、一方ではもう遠征が始まっているなんて、不思議な感覚だ。

 隊長が桃園村に来ないのは、いい潮だと思う。最初の頃こそ三十そこそこの独身の貴公子がやってきたみたいに思われて村の女の子たちがきゃあきゃあ騒いでいたが、四十に手が届く今となってはもう不気味さのほうが勝って来るのではなかろうか。隊長をからかって遊ぶ蜜柑みかん投げ大会がどこかでふっつりと途切れたら痛ましいので、今年はさりげなく伝統を断ついい潮時だ。
 村に着くと、村人たちは例年の通り歓待してくれたが、どことなく通り一遍というか、例えば、隊長が作った水餃子とふつうの人が作った水餃子の違いのように、ほんの少しだけ何かが蒸発してしまっているような、色あせたような感覚を覚えた。言動もお料理も表情も、例年通りなんだけどな。なんだろう。
 隊長は妖気を持っているんだ。なんでもない雑然とした場所にぽんと隊長を置くだけで、その場が輝くんだ。なんなんだろうな。本人はべつに、なんでもない大したことない、不幸な育ち方をした、何も持っていない、自身の存在感すらあやふやな、なんでもない人なのにな。隊長本人がなんにも持っていなくても、隊長がみんなのことを愛してるからいいんだろう。いっつも瞳を輝かせて嬉しそうにみんなを見ているから、それを見ているみんなも輝くんだ。
 そんなのは、いいことじゃないんだ。隊長が黙っていてもいつでも無償の愛情を注いでくれるような人はどこにもいないんだ。隊長がこの世界にとどまっているための唯一の方法が、世界やみんなを愛していると思うことなんだ。隊長は個人的な恨みを抱えていたら生きていけないほど不幸だ。そんな崖っぷち人生なんだ。

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“七十九、蜜柑(みかん)(1)” に2件のコメントがあります

  1. 隊長さんは既に出撃してるんですね
    強行軍開始ですね

    「不幸だ。そんな崖っぷち人生なんだ」
    季寧くん、相変わらず毒舌ですね。

    「それを見ているみんなも輝くんだ」隊長さんのことを良く思いつつも
    季寧くん複雑な心境なんでしょうね?

    曹操は広東語で読むと「チャウチャウ」になるんですね。
    なんか可愛らしいですね。
    二次創作作品で女子高生になってそうですね(笑)

    • 諸葛亮の軍勢はすでに出陣して、魏延の軍団も近々出発するという状況です。
      隊長は西暦234年の桃の花は見られなかったようです。
       
      よく知らない人から見れば隊長は立派そうに見えますが、季寧くんには同じクラスのついいじめたくなるような子ぐらいにしか見えていないようです。
      隊長に対しては、友情なのか愛情なのか腐れ縁なのか、相当の思い入れがありそうですね。
       
      曹操があの性格のまま女子高生になったら面白そうですね。
      賢いところとそそっかしいところが同居しているような可愛いキャラクターになりそうです。
      すでにいろんな女体化曹操がいそうですが(笑)

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