八十二、覆水(ふくすい)(2)

隊長はパチッと目を開けた。
「いやあ、なんか、もしや体調悪いのかもしんねえなと思ってさ」
俺がちょびっと遅刻したくらいで、具合が悪くなるほど腹を立てたのだろうか。まさかな。昨日の李隊長の風邪がうつったのかもしれない。あるいは、ぢかよう長史ちょうしにおいをいだせいかもしれない。それとも、将軍が五丈原に到着する前は漢城かんじょう魑魅ちみ魍魎もうりょうばかりに囲まれて過ごしていたから、我々が到着してこっちに落ち着いてほっとして疲れが出たのだろうか。将軍に暴行を加えられたせいかもしれないし、苦手な水辺での任務につく日が間近に迫っているせいかもしれない。隊長が具合悪くなりそうな要因はいろいろ考えられる。そもそも、真夏と真冬以外はいまいち元気じゃない。
「風邪ですか」
「いや、なんだろうな。なんかさあ、ここんとこなんとなあく息切れがすんなあと思ってたんだけどさ、どうせまた喘息だろうと思って気に留めてなかったんだ。しかしさっきはたと気付いたんだよ、全くゼエともヒューともいってねえからこいつはどうも喘息じゃねえなってさ。そしたら急におっかなくなって、さっき慌てて横になってみた」
ふうん、そう。隊長は勝手にニマニマと笑って語を継いだ。
「一病息災って言うけどよ、喘息ってのは危険だな。仮にどっか悪くて息苦しくなったとしても喘息のせいだと思い込んでたらなかなか気づかねえな。なんか二日間ぐらい息苦しいまんま我慢しちゃったぜ。さっさと休んどきゃよかった」
「喘息だったら横にならないほうが楽ですもんね」
「なあ。だろ?」
俺喘息持ちじゃないからよく分かんないけどさ。
「お医者さんに診てもらいました?」
「いや、それほどのことでもねえなと思って。夏バテとか血虚とかそういうたぐいじゃねえかな」
「まだそんな暑くないですけど?」
「おれ真夏よりも初夏のほうがバテるんだ」
ふうん、なるほど。確かに、汗が出始める前の季節のほうが体がきついってこともあるだろうな。初夏にバテて寝込む。びっくりするほど虚弱体質だな。おばあちゃんかよ。
「例年、初夏にバテたりするんでしたっけ?」
「いや、息苦しいとかなんとかそこまでの違和感は感じたことねえな。ひょっとすると、三日後にいかだに乗るのがイヤすぎてなんとか病欠できねえかと思って体が調整してるのかも」
「ずる休みですね」
「子供が何か嫌なことをしなくちゃならない時にすぐぽんぽんが痛いって言い出すのは、きっと本当にぽんぽん痛くなってるんだろうと思うよ」
隊長はニマニマと笑いながらゆっくりと起き上がり、布団を畳んで立ち上がって衝立ついたてを天幕の隅によけると俺に向きなおった。

ページ公開日:

“八十二、覆水(ふくすい)(2)” に2件のコメントがあります

  1. 台風の被害拡大しそうですね。
    まるクルルさんお住まいの地域は大丈夫でしょうか?

    隊長さんの喘息、大丈夫でしょうか?無理は禁物ですね。

    王平、私が気になってる人物です。
    第一次北伐で馬謖がミスったのは、
    王平の存在がプライドを変に刺激しちゃったんじゃないかと考えてます。
    馬謖は
    読み書きできない人間が副将になったことに不満をもちつつも
    自分の兵法の知識をひけらかす相手に、読み書きできない人間は都合が良かったのかなと思います。
    街亭で兵法の知識を得意気に話すうちに、山に陣地を設置したら水源を確保できないことを王平に指摘されたことで、馬謖は意固地になり
    結果、諸葛亮の命令に背く感じになったのかなと。
    「読み書きできない奴に兵法の何がわかるんだ!」って感じですかね。

    『デミアン』は今でもちょっと好きなんですね。
    国語の教科書をきっかけに新しい作品に出会えたなんて素敵ですね。
    私は国語の教科書に載ってた作品なんて、ほとんど覚えません。(汗)

    返信
    • ご心配いただきありがとうございます。
      おかげさまで私の住んでいる地域では大きな被害はなかったようです。
      近所のマンションの植木が45度くらいに傾いていて、とても風が強かったのだなと感じました……
       
      馬謖の話ですが、プライドが邪魔をして作戦の判断力が鈍るということはありそうですね。
      三国志演義では諸葛亮がこまごまとした指示を与え、王平が意見を述べていますが、誰からも何も言われなければ馬謖は自分で冷静に最善の判断を下すことができたのかもしれません。
      プライドが高いと、人から何か言われた時に、なんとかして違うことをやってやろうと思いそうですので……
      王平が馬謖から見て明らかに格上の人物であれば素直に意見を聞くこともできたかもしれませんが、その逆だったことが不運でしたね……
       
      国語の教科書に載っている話が気に入ったらその作者の他の本も読んでみる、ということは、小学校2年生くらいの頃に覚えたような気がします。
      「くまの子ウーフ」と「がまくんとかえるくん」のシリーズを低学年図書室で借りて読んでいました。
      教科書でおはなしを読む楽しさを覚えました、と言ったら、教科書を作った人に喜んでもらえそうですね(笑)

      返信

コメントする