八十五、不如逃跑(にげるにしかず)(7)

 翌朝、起床の合図とともに飛び起きて天幕を飛び出すと、駆け込んで来た黄屯長と正面衝突して目の前に星が飛んだ。危ないよ! 鼻血が出ちゃったじゃないか。黄屯長は上唇を押さえてツーンとしたような半泣き顔で固まっている。
「おはようございます」
「おはようございます」
妙に冷静に挨拶を交わす。
「季寧、隊長を見なかったか?」
「今日はまだ見てません。って、えっ! いないんですか?」
「うん。半時ほど前に馬の散歩に出かけると言って出て行ったそうなんだが……」
「半時くらい乗りまわしているのは普通だと思いますが」
「精神状態が普通じゃないじゃないか。ウツの人がちょっと元気になって動き出したと思ったら自殺した、という話はよく聞くぞ」
「え、よく聞く? 自分、そんな情報は初めて聞きましたよ? 見張りの連中はどうして隊長を行かせちゃったんですか?」
「隊長が爽やかに起きだして、ニコニコしながら、もう治ったよ、と言っていたからすっかり安心して送り出したと言うんだよなあ。見た目が元気そうでも、中身がどうだかは分からないというのに」
「なんでそんなに、腫れものに触るようにしないといけないんですか?」
「腫れものだ」
「もう。そんなに弱い人は放っときましょうよ」
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「本気なわけないす」

 ああ~、困ったなあ。黄屯長と付かず離れずしながら、陣営の中をウロウロと歩き回る。門から外をうかがったり、厩舎きゅうしゃのぞいてみたり、李隊長のところをうかがってみたり。まったくもう。一人でひょいっと外出するなんて。みんなが心配するって分かってないのかな。まさかとは思うが本当に自殺? このあいだ、いかにすれば死なずに済むか細心の注意を払って過ごしているって言ってなかったっけ。そんな話をしていたのは、もしかすると、細心の注意を払うことに限界を感じ始めていたからなのだろうか……。
 俺は厩舎きゅうしゃにしょんぼりと座りこんで、クロのションベンに湿ったわらのにおいを嗅ぎながらネクラに指のささくれをいていた。遠くから、クロのカポカポという元気そうな足音が聞こえてくる。入口のほうを見上げて待っているうちに、馬の足音とともに隊長の足音も聞こえて来た。いつも通りの足取りのように思える。俺はふてくされた表情で立ち上がり、厩舎の外へ出た。
「おはようございます」
「おはようございます」
隊長はにっこりと笑った。呑気な人だな。みんなが心配するっていうこと分かっていないんだろうか。まあ、外見上はいつも通りでも、中身はどんなだか分からないから、呑気に外出していたことを詰るのはやめておこう。

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“八十五、不如逃跑(にげるにしかず)(7)” に2件のコメントがあります

  1. 外出してたことを詰るのをやめるなんて、季寧くん成長したかな?
    隊長さん、無事に回復してると
    良いんですけどね。

    • 季寧くんも連載開始時点からもう六歳も年をとっていますから、ずいぶん成長していると思います(^^)
      一方、隊長は幼児化しているような?
      無事に回復するといいですね……!

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