九十四、遺言(8)

「一回頭打っちゃったら、回復するまでしっかり様子を見ないと危ない。痛んだところに重ねて損傷を加えると大変なことになるからな。大事にして下さい。最初なんともなくても後になってからおかしくなるってこともあるから、ちょっとでも違和感があったらその都度言ってくれ。頭を殴ったからには一生面倒みる覚悟だ」
「一生っていっても、隊長のほうがぜったい早死にしそうじゃないですか。馬鹿のうえにせっかちで暴れん坊なんだから、長生きできる要素ないですよ」
「なるほど。じゃ遺言状を書いておこう。せいぜい貯金して遺産が入るようにしとけばいいだろ」
こう言うとさっそく墨を磨りはじめた。変な奴だ。馬鹿だのせっかちだの早死にしそうだのと言われても全く怒らないどころか、遺産まで残すという。こんなお人よしの隊長をあんなに怒らせ暴れさせた原因は、一体なんだったのだろうか。
 上等な絹帛きんぱくを広げ、惜しげもなく筆を下ろす。下書きとかしなくていいんだろうか。
「どうすっかなあ。俺に手を上げられたことのある奴で、障害の程度に応じて分配してもらうか」
真面目な筆跡で書いている。書く内容も決まってないのにいきなり清書とは、いかにも隊長らしい。俺は文字が読めないが、一見して、美文調の正式な遺言状をしたためているようだ。
「分配は宋屯長にやってもらおう。あの人なら無茶苦茶な分け方はしないだろう」
「順当にいけば宋屯長のほうが先にお迎えがきそうじゃないですか?」
「四歳しか違わないぜ。落ち着いてる人のほうが長生きするだろ」
「そうじゃなくって、戦列で宋屯長のほうが前にいるじゃないですか」
「宋さんが討たれるまでぼんやりと交戦を続けるってこともそうそうないだろうけどな。そんな、一兵残らずたおれるまで戦えみたいなことを強いる気はない」
「はっきり危ないと分かっているなら敢えて踏みとどまらないのが賢明なんでしたっけ」
「命あっての物種だ」
「指揮官がそんなこと公言しちゃっていいんですか? 兵隊たちが戦場でちょっとでもビビったらすぐ逃げ出すっていうふうになったら収拾つかないじゃないですか」
「そう簡単に逃げるかな? 逃げるってのは勇気と決断力が必要だぜ。十代の頃から同じ服着て同じ飯食って同じ日課で何年も一緒に過ごしてる仲間と離れて自分一人で逃げる決断をできる奴は超人だ」
「そうじゃなくって全体が総崩れになるような場合は?」
「そうなる前に俺とっくに逃げろって合図してると思う」
なに言ってるんだよ。隊長はどうせもうすぐ成都に行くんだろ。俺たちを前線に置き去りにして。

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“九十四、遺言(8)” に2件のコメントがあります

  1. 季寧くんの最後の言葉気になりますね?
    財産関連の遺言は重要ですね。
    兄弟多いと‥‥‥‥‥‥‥

    隊長さんスゴく真面目ですね。
    ガチバトルに部下を巻き込んでしまったことを反省してるんでしょうか?

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    • 隊長は成都へ行って法律関係の仕事につく予定なので、そのことを季寧くんは少し呪っているのかもしれません。
      財産関係の遺言といえば、先日の第3回”三国志”の作り方講座で聞いたところによれば、死後の土地の分配について書かれた後漢時代の木簡も残っているそうです。
      当時の人もやはり大事なことと考えていたようですね。
       
      隊長は基本的には真面目ですが大きいところで変に間違っていることが多そうな気がします。
      自分が壊した扉のちょうつがいを平気で部下に修理させる上司でも暴れない上司のほうがきっといい上司です……(笑)

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