九十九、強行軍(14)

の兵隊が、そんなに早く秦嶺しんれいを抜けて来るんですか? 関所だってあるのに。なんでこんなに急ぐ必要があるんですかね」
「お前、南谷口なんこくこうで、たとえどんな敵が現れても驚くんじゃないぞ」
「え、なんなんですかそれ。まさか南蛮王なんばんおう孟獲もうかくが象部隊を率いて現れるってわけじゃないでしょうね」
黄屯長は俺の冗談にも笑わず、真顔で
「どんな敵が現れても驚くな」
と繰り返しただけだった。なにそれ。怖いんだけど。こんな時、隊長だったらどう言うだろうか。「ギャハハハ、それ面白えな。季寧は俺が象に踏んづけられたら救出する係だろ? よろしくな」そして、案外真面目な一面もあるので、「しかしもうさんがいまさら象部隊を率いて何か事をかまえるんじゃねえかって想像は失礼だよ。あの人はいま官職について精勤に務めていらっしゃるんだからな」とでも説教するに違いない。
 隊長のところに戻る。隊長は馬上に突っ伏しながら
「気持ち悪。吐きそう。つらすぎる」
と弱音を吐きまくっていた。当分の間は使い物になりそうもない。
 どんな敵が現れても驚くな、か。どんなに恐ろしい相手が現れても、隊長が一声「ひゃっひゃっひゃっ、おいでなすった」と笑ってくれれば、誰も動揺しないだろう。

 全くおかしい。烏合うごうしゅうだ。集中力というものが全くない。ちょっとくたびれたくらいで、何をザワザワしてるんだ。俺も暑いしヘロヘロだけどさ。りょう屯長がわざわざ自ら後ろまでやって来て、黄屯長に言った。
「水筒の水を飲み干してしまった者がちらほら出ています」
おおなるほど。残り六十里。これは微妙な距離だ。水がないまんま頑張って気合で歩けって言われれば、歩けなくもないような気がするが、西日をガンガンに浴びながらブッ通しの早歩きだから、うっかりすれば死ぬ奴もいるかもしれない。死なないまでもちらほら落伍者が出ることは必至だろう。かと言って、行軍を止めて水を補充するという作業を始めると、渋滞を引き起こすかもしれない。さあどうする黄屯長、これは大きな決断ですよ、と思っていたら、黄屯長はあっさり隊長にお伺いをたてた。
「隊長、隊員の水筒の水が底をつき始めましたが、一旦止めて水を補充しますか」
「……ばてて水をガブ飲みするような時は、塩をめれば元気になる」
「喉がカラカラの時に、塩ですか?」
「渇きを止める魔法の塩」
これを聞くと、こう屯長は隊員に向かって面白いことを言った。
「隊長の魔法だぞ。塩を舐めろ。喉の渇きが止まるぞ」

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“九十九、強行軍(14)” に4件のコメントがあります

  1. 塩は大切ですよね。
    水を飲み干してるってことは
    体内の塩分が汗と一緒に排出されてる可能性高いですよね。
    喉が乾くのは、体が塩分を欲してるんだと思います。

    「どんな敵が現れても驚くな」って
    言われたら、怖いですよね(^_^;)

    「実際は、できなくっても死にもせず、敗北と挫折の積み重ねだよ」
    隊長さんだけでなく
    敵、味方の多くの兵士が
    南谷口で敗北と挫折を積み重ねてしまうのでしょうか?

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    • そうですね。
      汗と一緒に塩分が抜けているのに塩を補わないからばてて水をガブ飲みしてしまうんだろうと思います。
       
      黄屯長のあの言葉は不安感を煽るだけですね。
      なんの情報もなくあんなことを言われたら怖いです!笑
       
      南谷口でどんなことになるのか、どうぞ続きをお楽しみに……。

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    • 曹操の「この先に梅の木があるぞ」は梅の酸っぱさを思い浮かべて口の中を唾液で潤して渇きを忘れさせるという話だったかと思います。
      今回の「塩」は体内のミネラルバランスの話です。
      汗をかくと喉が渇きますが、水だけを飲んで塩分を補わないと、体内のミネラルバランスを保つために飲んだ水はおしっこになって出てしまいますから、体の中の水は足りないままでいつまでも喉がかわいてしまいます。水と一緒に塩もとらないと水分補給ができない状態です。
      水をいっぱい飲んでいるのにおしっこばかり出て喉のかわきが止まらない、という時は、塩分不足を疑ってみるとよいようです。

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